リンドルフ伯爵 歌/チェロ

コペリウスへの回廊へ

リンドルフ伯爵に関しても同じく生年は不確かだ。というのも幾多の火災や不穏な社会情勢において記録が消失してしまったからである。またM劇場で起こった火事では伯爵愛好のストラディヴァリのチェロが真っ赤な炎の火中に飲み込まれてしまった。

伯爵についてよく言われるのは大の旅行好きだということ。19世紀にはすでにヨーロッパの多くの部分を渡り歩き、バンドの数々の公演を実現させた。一方、それが彼を外国を巡らせる唯一の理由かというとそれには疑問符が残る。そこでは実に幾つものロマンスが伯爵を誘惑していたのであった。例を挙げれば当時あの若きファニー・ヘンゼル。けれども「あの件はイタリアを旅行中に我々二人が偶然出会い、その後彼女にコペリウスの一員として一緒に歌ってもらいたい、と説得を試みたに過ぎない」と伯爵は言い張る。イタリアといえばそれ以前伯爵と彼の敬愛するコンテ・カスパーがともにフロレンスを旅していた道中、物理学者 スパランツァーニとの親交を得たところでもある。また伯爵はすでにあの日の出国日本にも足を運び、封建社会当時のしがない一浪人侍であったノブサマをコペリウスのドラマーとしての説得に成功したのであった。

 

ある時期、コペラが新しい化学実験に実に夢中であったころバンドは活動休止を余儀なくされたが、それが伯 爵には幸いしロンドン、パリ、ハルバーシュタット、ライプチヒ、そしてドレスデンなど数々の都市で自身の公演をもかねた旅行を行った。またその裏で秘密の男女交際が再び行われていたという事実も想像できよう。

音楽家のかたわら伯爵は軍人として同世紀将校まで登りつめたが、その後あるものの陰謀にはまり軍隊から追放された。しかしそれ以前に1815年に起きた ワーテルローの戦いが勃発した折、あの伝説となった戦場でのコペリウス公演を可能にしたのである。

 

 巨額の財産を所有していた伯爵ではあるが、それはいつの日かオリンピアという一美人女性との恋愛関係を築き上げるため熱烈に注がれ消えてゆくのであった。「私の心中の楽園、そこに彼女を招待したかっただけだ」と伯爵は今日もそれを思い出すたびに苦笑いする。

 
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