ジシー・フォス コントラバス

コペリウスへの回廊へ

誰もが年齢200歳前後と推定されるバンドではあるが、その中では"最も若い"のがジシー・フォスと言 われている。バンドメンバーの本当の生年月日を問われる質問にはただニヤッとした笑いが返ってくるだけであるが、それでもこの事実を肯定するヒントになるのではないだろうか。


ジシー・フォスに関するコペリウスでの貢献については常に人々から感謝の言葉が聞かれる。彼はその件に満足げだ。また1803年、コペリウスの最初の公演の幕開けが行われようとしていた矢先、舞台上でシルクハットをかぶるかぶらないの議論の意見対立はすでに無事解決されていた。"おい、もしシルクハットが 無かったら舞台でだれが俺たちをコペリウスだって認識するんだ!?もううっとうしいかつらの話しなんか放っておけ!"それ以外でもちょうどノブサマがヨーロッパに辿り着いたころ、マナー文化の違いでこの日本人にレストランのある客が腹を立て一騎打ちを申し込んできた際にもジシー・フォスはノブサマの代わり にこの喧嘩を買い、この見知らぬ争いの火付け人を自分のコントラバスで殴り殺してしまったこともあった。

 

ジシー・フォスはまたコンサートの後での酸素マスクでの体力回復に関しても誰よりもゆっくり時間をかけ、健康管理には十分な注意を払う。というのも、弦を弾くその右手の指はしばしばその激しさゆえ出血をきたし何度もそれが指の骨までいきとどき、そのため数多くのバンド活動休止の一原因ともなったからであ る。つまり毎日の十分な体調管理が必要なのである。それがもとでコントラバスの弦を特別な合金を使用してつくらせ、自身はパリのエッフェル塔が建てられる 際にそこで数え切れない程の鉄筋仕事を素手でこなしたのであった。そのせいもあってかパリにおいて初めて世界万博が開催されるというときに、コペリウスが そこで演奏依頼を受ける理由にもなったのである。

 
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